■50歳代は再び生まれ変われる年代である。
孔子曰く、50歳は天命を知ると。即ち、天が己に与えた使命を知るということであり、その後の60歳の耳従う、耳順へとつながっていく。耳順とは品性の修養が進み、聞くことが直ちに理解でき、なんらさしさわりも起こらない境地にあるという意味である。
いわばこの年代は、もう、じたばたしても始まらない、どっしり構えておればいいということを孔子は言っているのかもしれない。いわば悟りの一歩前の境地ということか。
しかし、そうはいかないのが人間である。いや、むしろ、それに反発をして再出発をしたい、生まれ変わりたいという欲求が芽生え始めるのかもしれない。現に、50、60の手習いなどと称して色々なことにチャレンジする人が増えているではないか。
■熟年世代の恋狂いは長雨の如くだらだら続く。
それが、建設的なことに向かえばいいが、中でも恋狂いに向かってしまえば、一大事である。若い内の浮気は夏の夕立のようにあっという間に終わるというが、40,50歳代の浮気は長梅雨の如くだらだら続くとは昔からよく言われているからである。
この年代になると、これまで長年連れ添ってきた伴侶に何の魅力も感じなくなるという。そればかりか、嫌悪感を抱くようになるというから怖い。その反動で、禁断の実を食べたくなるのかもしれない。しかも男女ともにこのような感情が芽生えることもあるというから厄介である。
でも、浮気の状態が続くというのはある意味いいことかもしれない。未だ夫婦としての絆が残っているのであるから、これを乗り越えて、60代70代になればまたいい関係になることも考えられるからだ。浮気をしたけど、やはり長年連れ添ったお前がいいとかなんとかで、茶飲み友達のようになれればいいことかもしれない。
■熟年離婚は女にとっては希望に満ちた話である。
ところが、もう永遠にさよならしましょうということになると深刻である。熟年離婚という現象が引きも切らないようであるが、本音のところでやはりこのような感情があるのだろう。それに、引金になるのが子どもの独立である。これまで子どもの手前我慢をしてきたが、もうその必要はなくなったからだ。
離婚の話というと沈鬱な感じがしないわけでもないが、妻にとっては前向きで明るい未来が開ける希望に満ちた話である。「閉経はきても私だってまだ女よ」といわんばかりで浮き浮きしているのである。
いや、ひょっとしたらテレクラなどでもうそれなりの人を見つけてあるかも知れない。だから、強気なのだろう。しかも、10歳や15歳も年下の男かもしれない。いや、こればかりは映画の見すぎかもしれない。
逆に男の側は淋しいものがある。内の妻に限ってと思うのが大方の男のよくあるパターンである。だから、心の準備も何もないから慌てふためき慄くばかりである。
50歳を過ぎた男たちに言っておきたい。
もはや愛妻という言葉は死語になっている。いつ何時、女房から別れ話を切り出されても不思議はないと自覚しなさい。その時になって慌てないためにも、恋人の一人や二人を作っておきなさいということだ。
関連サイト:中高年の性
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